近頃ちょっと気になるアフリカ。人の生活や街の様子もどんどん変わって、昔のイメージとは違うみたい。でも実際のところはどうなのかほとんど知らない。そんなアフリカ初心者に、大津氏があれこれ指南。
第2回:いろいろあって、フェアレディーZ
たむろう:
先日NHKの「クローズアップ現代+」で放映された大津さんのソマリア映像を見ました。失敗国家なんて言われて、普通の国家行政が機能しない無法地帯。コンクリートブロックを道端に置いて自爆テロに備える人々、アルコールやシンナー中毒の子どもたち、銃を持った自称ボディーガードの男たち、苦悩と不安、緊迫感がビンビンと伝わってきました。
我々が知り得ない最前線のリアリティに大津さんを駆り立てるものは何なのですか?
大津:
日本人としての危機感みたいなものがある。アフリカの難民問題や民族紛争、資源の争奪戦なんかには、見えないところで米中はもちろん世界各国の思惑が絡んでいて、国際情勢の縮図だ。それを自分の目で確かめておきたいし、日本に伝えたい。実情を日本人が知らないままではダメだと思う。
たむろう:
とにかく、物事が動いている現場に立つということですね。それにしても最初はどんなきっかけでアフリカへ渡ったんですか?
大津:
学生の頃、アフリカで農業をやるという話が大学の仲間で持ち上がって「おれが見てくる!」ということになった。
友人と二人だったな。最初に乗り込んだのは飛行機じゃなくて船、横浜港から。
岸壁を離れるフェリーからテープが何本も舞って、映画のシーンみたい。その後は列車や飛行機も乗り継いで、最後はまた船。しかも移民船だったな。トータル、ケニアのナイロビまで1ヶ月かかった。
オッツィー:
移民船!? どうやって乗ったんですか。
大津:
まあ、順番に話すと、横浜から香港まで乗ったのは通常運行のバイカル号。この船も面白くて、70年代に数多いたヒッピーたちの御用達、ウラジオストックへも運行していて、そこから奴らはシベリア鉄道に乗り継いでヨーロッパまで行っていた。向こうではバイトしながら放浪の旅、なんていうのをやってたね。
で、俺たちは逆ルートで香港へ出港したわけ。香港へ着くとそこからカルカッタまで飛行機で飛んだ。
インド国内は延々と三等列車で移動。汚い列車で、走っていると砂やほこりがボンボン入ってくる。超満員の車内でようやく隙間を見つけて床に寝ていると、途中からその上に男が覆い被さってくる。きつかったなあ、あれは。
うえっち:
インドの列車ってそんなイメージだな。むさ苦しい奴らに圧着されるのは、ちょっとなあ。
大津:
やっとのことでたどり着いたのがアラビア湾に面したムンバイ。そこからいよいよアフリカ航路なんだけど、ここでインド人移民を運ぶ移民船に乗り込むわけ。これに潜り込んで海の上を揺られ、セーシェル島経由で航海は続き、ケニアのモンバサへ上陸するんだ。
たむろう:
しかし、よく移民船なんかに乗れましたね。
大津:
でしょ? 今では考えられないルートだけど、でも、その時は国内で全部手配できたんだ。
オッツィー:
国内で!
大津:
そう、ジャーディン・マセソンというイギリス系の会社が有楽町に極東支店を出していて、アフリカ航路の移民船チケットも買えた。たしか270ドルだったかな。3食付きでムンバイ〜モンバサは2週間かかる。「バンククラス」なんていうけど要は貨物室、そこに五段くらいの蚕棚のような寝床があって、鉄板むき出しなんだよね。
周りはインド人ばっかりで、そこに俺と学生時代の友達が二人。鉄板の上に寝袋を敷いて、二週間過ごしたよ。
毎日カレーを食べてたな。ハンカチもナプキンもない。つい手を拭くから服が真っ黄色になる。そんな時代だった。
たむろう:
大津さんのアフリカ行きの原点は、カレーの香り。でもやっぱり、何かカッコいいですね。
大津:
どうかなあそれは。いろいろ思い出してきたから、ついでに帰りの話もしようか。
うえっち:
ええ、聞きたいですね。
大津:
1年近くアフリカを見て、本当にアフリカにお世話になった。日本への帰り道も、同じようなルートだったけど、ドタバタだったよ。
たしか、ネパールのカトマンズへ立ち寄って、なぜかクアラルンプールへ、そこから台湾の台北へ。台北に着いたときは5ドルしか持っていなかった。
うえっち:
ほぼ文無しですか。
大津:
そう、仕方がないから大使館かどこかへ駆け込んで、5千円か1万円借りた。どう話をつけたのか覚えていないよ。
オッツィー:
生命力、ですかね。それって。
大津:
台湾の基隆(キールン)から船で那覇へ。まだ沖縄が日本に返還される前でパスポートが必要だった時代。那覇からフェリーで鹿児島港に着いて日本に帰国した。鹿児島の税関ではパスポートを見た職員が「え、にいちゃんアフリカ行ってきたの?」なんて言って。挙げ句の果てに「少し話していきなよ」だって。
たむろう:
アフリカ帰りなんて、そうはいなかったんでしょうね。話、聞きたかったんですよ、本当に。
大津:
そうだね。でも、金も時間もないし、丁寧にお断りして、早々に立ち去って、福岡の友人のところに泊まったりしながら、どうにかこうにか琵琶湖までたどり着いた。
うえっち:
懐かしいマイホームまで、あと一息だ。
大津:
琵琶湖畔の通りでも、ひたすら親指立ててヒッチハイク。そうしたら、「イカした」フェアレディーZが横付け。今でも忘れられないけど、ウインドウがスッと下がって、顔を出したのは30半ばくらいのお兄さんだったな。
「どこまで行くの?」(お兄さん)
「横浜まで帰りたいんですけど」(オレ)
「乗って行きなよ」(お兄さん)
なんてね。結局、名古屋まで乗せてくれた。でね、名古屋駅で新幹線の切符まで買ってくれた。弁当とお茶と、それからマンガまで付けてくれた!
他の3人:
うおー。
オッツィー:
フェアレディーの人は何か大津さんに惹かれたんでしょうね。その人も若い頃、そういうことをやっていたんじゃないですか?
なんか、わかるなあ。私もヒッチハイクしている若者を見ると、声かけますもの。ガンバレっていう感じでね。
たむろう:
仲間とアフリカへ渡って1年。ある意味、初志を貫徹して、リアルに飛び込んで、それを吸収した。そういうオーラが出ていたんじゃあないですか? メラメラと。琵琶湖畔でヒッチハイクする若者から。絶対そうだと思います…。
- 大津司郎:
各局のTVニュースに出演する映像ジャーナリスト、アフリカ撮影などのコーディネーターとして、アフリカ各国への渡航歴は数知れず。 - オッツィー:
たまに登場する、大津氏の古くからの知り合い。世界をかなり旅している様子。 - うえっち:
世界のエアーと航空券事情にも詳しく、フレックスインターナショナルの未来を切り拓く?男。 - たむろう:
50代、自由業。学生の頃、当時流行ったクイズ番組の影響?もあってアメリカを横断。ヨーロッパ、アジア、中東へも出かけたが、アフリカはほぼ未体験。