体感型アフリカツアー

 アフリカ人にとって農業(定住耕作~牧畜他)は生きる基盤である。

どのような形であるにせよ、それは深く土地と結びついた生き様だ。

アフリカ紛争、その他さまざまな問題の多くはその土地の所有に関係している。

誰が、どのグループが、どの民族がどの土地を所有し、使用できるのか

--過去も現在もアフリカの対立、問題の核の一つを成している。

現在の土地をめぐる問題のほとんどはアフリカ人同士の問題だ。

それは過去のヨーロッパ植民地支配によって社会が大きくゆがめられた上での対立、問題といっていい。

 

 支配者たちは文字通りdivide&rule(=分割して支配するを力)で、そして苛酷に伝統的アフリカ人社会に課した。伝統的アフリカ人社会の土地所有、使用の制度も大きくゆがめられ、また崩壊した。支配者たちは自分たちの都合で、時にはAという民族に肩入れし、優遇し、またAが言うことを聞かなくなったり、反抗的態度に出ると、勝手にAを見捨て、Bというそれまで冷遇していた民族に肩入れする。利害関係が逆転したAとBは当然、権力の掌握をめぐって激しく対立、時に殺し合いの戦いにまで至る。1994年、ツチ族とフツ族の間で起きたルワンダ内戦/虐殺は典型的そうした事例の一つだ。


 数百年前、牛とともにケニアの北、エチオピア、あるいは現在の南スーダンのあたりからやって来たマサイ族は、今のケニアと呼ばれる土地に定着、生活を始めた。豊かな草の生い茂るそこにはむかし先住者がいた。現在、ケニヤで最もパワフルで、政治の主導権を握るキクユ(Kikuyu)族だ。当然土地の所有、使用をめぐって諍いが絶えなかった。

 

 だが、それはアフリカ人同士の戦いのレベルだった。それを一気に壊し、アフリカ人先住者たちの土地を奪い、不毛の地に追いやったのが19世紀後半ケニヤにやって来たイギリス人植民地支配者たちだ。さらに追いかけるようにイギリスから、南アフリカから多くの移民が豊かな土地と暮らしを求めてケニアにやって来た。支配者たちはさまざまな法律を作り先住民たちを追いやり、リザーブ(reserve)と呼ばれる狭く不毛な地に追いやった。少しでも肥沃な土地、草地をめぐって追いやられた者同士でさらに対立、戦いが繰り返された。

 

 権力、土地支配、民族感情等々、風景の向こうに横たわるこうしたファンダメンタルを知ることなしに、ケニア、そしてマサイも理解することはできない。

ケニアとタンザニア北部にまたがって居住するマサイの人口はせいぜい100万前後だ。少数民族である。しかしその存在と個性は際立っている。民族対立、戦争、土地収奪、差別、迫害・・・あらゆる時代の困難に直面し、それらを乗り越えながら今も強烈に自己主張を放ちながらマサイは生きている。


 なぜ今回、マサイの学校と近くの村を訪ねたのか。

 

それは前回、2018年の訪問の時、マサイ族の一人の母親が言った言葉が耳の奥底に残っていたからだ。彼女は問わず語りに言った。

 

〝学校、教育はとても大事です。でも今わたしたち(マサイ)は、お金もないし貧しく、取り残されているように感じているのです・・・。〟

 

 そう話してくれた母親の顔は、子供たちの未来を思ってか・・・、どこか沈みがちだった。わたしは彼女の中にマサイが直面する苦悩を見た。

 

 日本では、ただの原始的、風変わりな人間たちと思われている。

マサイが携帯電話を持っていれば面白おかしく、〝マサイも携帯持つんだ!?〟といって

どことなくバカにしている。

 だが、母親の言葉の中に、わたしは激しく変化する時代の奔流の中で、自分たちの置かれた現実を自覚し、学び、何とか次の世代、時代に生き残っていかなければならないという彼女の強い思いと危機感を感じた。とても今の日本人に感じることのできないそれは鋭い時代感覚だと思う。

 

 しかも、マサイのすごいのは、それを〝牧畜pastoralism(牧畜文化/遊牧nomadとは違って一定のエリア、縄張りの草地、水場を求めて牛を移動させる。一部ではわずかながらトウモロコシ、雑穀などの作物栽培もする。隣接する部族の牛の群れを襲い奪うなど一定の戦闘集団を有している場合が多い。これをcattle-raidといい、マサイの場合、この戦闘集団はage-set/年齢組という集団で構成され、その戦士たちをモランMoranと呼ぶ。)〟という、まったく異なる文化、価値観の中で思考、行動していることだ。

 

 高層ビル群が空を圧し、IT化が急速に進み、現代化が進行するケニヤ(ナイロビはアフリカの〝シリコン・ヴァレー〟とさえ呼ばれている)の中にあって、今なお赤い布を身にまとい、槍を手にサバンナに牛を追い、牛を守るため時に猛獣と戦う男たち、そうした彼らの生き方の存続に今、どうしても一抹の不安を感じざるをえない。

 

 いったい、いつまでこうした文化、生活スタイルが続くのか。許されるのか。それは一人マサイだけに限らず、他の牧畜民全体にも言えることだが・・・。今も、ケニア政府からは、いい加減そうした生活スタイルは捨て、農業他の仕事に就いたらどうなのかとずっと言われ続けている。


 サファリを終え、ロッジでランチを食べた後、ワレワレは車で30分ほどのところにある学校に行った。

 

 近くのコミュニティのリーダーであるサム。サムはマサイの文化紹介、伝承大使として時折外国に行ってマサイの文化を紹介している。50代半ばで3人の妻と18人の子供がいる。

 校庭に入るとたくさんの子供たち、そして女性たちが迎えてくれた。歓迎のマサイダンスに参加者たちもすぐに加わり、はじめから何となく打ち解けていた。今回は10代の二人のモラン(戦士)も参加してくれた。彼らの得意は有名なマサイのジャンプだ。参加者たちとジャンプ比べをやってあたりの空気をさらに盛り上げてくれた。

 

 教室に移動し、みなそれぞれ自己紹介や質問を交わして交流した。

モランからは侍サムライについて質問があったのでわたしと参加した高校生のT君とでチャンバラの真似をして子供たちを笑わせた。ハイライトはおみやげの贈呈だ。

 

 参加者の中のK氏は、特に沢山のお土産を持参(K氏のケニア行きを知った友人たちが子供たちへと持ち寄った。それは別個のスーツケースだけでは収まりきれず、やむなく日本においてきたものもあるくらいだという。)し、一人一人に配っていた。とくに感心したのはおみやげの中心が「本」だったことだ。そこには知らず知らず、それとも十分に現状を理解した上での、マサイの子供たちへの未来への思いがつまっていたように思う。また、おもしろかったのは、誰かが持ってきた日本の旅の写真ガイド本だった。二人の若いモランは写真のページをめくりながら秩父路の風景を眺めていた。マサイの戦士たちに、日本の長閑な景色はどのように映ったのだろうか・・・。

 

 楽しく、熱い時間が過ぎた後、途中、ナロクNarokのスーパーで買ったサッカーボールを持って外に出た。すぐに即席のゲームが始まった。ひと際目を引いたのは14、5歳の一人の少女だった。男子顔負けのスピードと迫力でボールを追いかけていた。長い槍を持ったモランたちはとくに加わるでもなく、黙って眺めていた。

 

 ボールゲームで遊んだあと、ワレワレは近くにあるサムさんの家へ向かった。

敷地にはロッジでもやろうとしたのか、小さなコテージが点在していた。目の前の草原の向こうには、緩やかにそして急にせりあがる山が聳えていた。サムはあの麓まで自分の土地だと自慢げに話していた。広々とした草地には一本のアカシアが立っていた。その下には赤い布がかけられたテーブルが用意され、われわれを待っていた。素敵な自然のままのカフェだった。でもこのカフェのすぐそばを時折、象、バッファロー、キリン、そしてライオンまで通っていくという。

 アフリカン・ティーとチャパティ、それにサモサをいただきながら、しばし談笑した後、時間も来たのでワレワレはサムの自然カフェをお暇(いとま)することにした。サムは帰り際、われわれを家の中に入れ、マサイについての簡潔なレクチャーをしてくれた。


 『過去にイギリスによって土地と森を奪われたワレワレは今、失地回復を求めて戦っている。ここから遠く離れたところにマウの森(Mau-Forest)がある。森に雨が降り、やがて水はマラ川(Mara-River)となってマサイマラ(Masai-Mara)を通り、ビクトリア湖(Lake-Victoria)にそそぎ、ナイル川(Nile-River)となって流れる。

 

 しかし今、森に侵入してきた他の部族の人間たちが経済のため森林を伐採している。そのため、干ばつ、環境破壊が至る所で起きている。今、そうした人間たちは追い出され、マサイは森の保護に動いている。

 

 だから、マサイの未来は明るい。エンカイENKAI(マサイ語の神)はいつの日かワレワレに土地を返却することを約束し、経済的にももっと強くなれように導いてくれる。サンブル(Samble)、アンボセリ(Amboseli)、そしてマサイマラ・・・今、国立公園になっているそうした土地のすべてはかつてワレワレの土地(牧草地)だった。そうしたことを訴えに外国にも行ってレクチャーしている。必ずエンカイがワレワレの土地を買い戻す金を用意してくれることを信じている。だからワレワレ、マサイには輝ける未来が待っている。

 

 未来のために、マサイの伝統を守るために今、マサイの学校で伝統文化を教えている。

どのように暮らしているかこれから皆さまをわたしの家に案内しましょう。』

 

 サムは何度も、『マサイの未来は明るい』と繰り返した。

そこには、コミュニティを率いるリーダーとしての強い思いがこめられていた。

それは同時に今、マサイが抱えている苦悩の裏返しでもある。

 

次の、そのまた次のマサイたちはどのような未来を選択するのか。

モラン(戦士)たちはどこへ行くのか・・・。

永遠にライオンと戦っているのか、いや戦える環境にいれるのか。

 

 それにしても、サムの暮らす場所、目の前に山がそびえ、麓に草原が広がり、アカシアの木々が点在する・・・。またその木の下でアフリカンteaを飲みたい。

 


 サファリは、このツアーの中のハイライトの一つだ。

サファリの魅力は何ですかと聞かれれば、即座に---。

吹き渡る風、匂い、そして光(空)だと答える。

動物を見るのももちろん、楽しいが、それ以上に、普通では絶対に見られない、感じることのできない世界に浸る、それに尽きると思います。

 

 一度でいいからサバンナの風に吹かれ、光を浴び、そしてはてしなく、どこまでも波打つ地平線と自分を一体化してもらえたら、どんなに自分が解放される感覚を味わえるか・・・。

お待ちしています!

 

★本記事は、2019年夏ケニアスタディーツアーへガイドとして同行した大津司郎氏によるツアーレポートです。

 

 

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