ずいぶんべたなタイトルですが、〝ありえないツアー〟って、なんだろう、なにがありえないのか・・・
わたしはアフリカの紛争問題を中心に取材、レポートしてきた〝ジャーナリスト〟という仕事柄、一般的なスタディツアーでやられている現地NGO訪問や活動参加といったツアー以上に、今そこで何が起きているのか、アフリカの最前線の問題の現場を訪問し、感じ、考え、そして悩み迷うツアーができればいいなといつも思っている。
たとえばNGOが仕込んだ現地の人々と一緒に学校作りに参加し、汗を流し、そして涙を流す予定調和な感動よりも訪ねた先の現場sceneが抱える問題、その背景、人間的悩み、そして歓びを自分自身の力で感じ、グローバルな課題を発見してもらえたらと思う。それは学びであり、他人(ヒト)が持たない独自の情報の獲得である。一時の感動以上にそれらは生きてゆく自分の財産となる。
今回、限られた日数、条件の中で考えた訪問先は次の4つだ。
1:キベラスラム(貧困のリアル)と、キベラ在住30年の早川千晶さんが活動するマゴソ・スクール(マゴソ学校)
2:世界的関心と注目--中国、〝一帯一路One Belt One Road〟建設現場訪問
3:マサイマラ保護区近くのマサイ族の学校と村/現代化が急速に進む中、牧畜民マサイはどこに行こうとしているのか
4:サファリ
この1~3の現代アフリカのシーンsceneとサファリを組み合わせたツアーはどこを探してもないと思います。勉強と自然の癒しを組み合わせました。冒頭に出てきた〝ありえない〟とはこの組み合わせのことです。「世界的課題」「関心」「日程」「料金」等々、たった中5日の滞在でやってみました。そして十分実現できました。
なぜ、こうしたことが発想できて、実行できるのか。それは、ツアー主催、催行会社、フレックス・インターナショナルの社長、乙田氏の並々ならぬ理解と決断です。たとえ少人数でもこうしたツアーを何度も催行してきました。その次にこうしたアイデアを発想し実現できる、紛争取材~サファリ/スタディツアー、テレビ番組アフリカロケ経験50年のわたし、大津のとんでもない体験と現地ネットワークがあるからです。
日程はだいたい以下の通りです。
▶現地1日目:ナイロビ着後、市内ホテル泊
▶現地3日目:中国、〝一帯一路〟関連の現場訪問*ポリス同行の下、中国が建設したハイウェイ、バイパス、ビル群などを徒歩で体感。
*一帯一路の目玉であるSGR(Standard-Gouge-Railway広軌道鉄道)の建設現場訪問、ここでちょっとした事件(ナイロビ泊)。
▶現地6日目:早朝ロッジ出発。ナイロビ、ジョモ・ケニヤッタ国際空港へ。夕方のフライトで、ドーハ経由成田へ。
★時間をみつけてショッピング、マーケットなど随時訪問。
1/キベラ・スラム&マゴソ・スクール
2/中国、〝一帯一路〟建設現場訪問
3/マサイの学校
4/サファリ
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キベラ・スラム&マゴソ・スクール
ガイドがキベラ&マゴソ・スクールで学んだこと、あるいは気づき・・・
a.「強制排除」
中国の援助で建設された、あるいは建設中の高速道路、バイパスがキベラスラムのど真ん中をぶち抜いている。当然そこに暮らしていた住民たちは強制的に排除された。キベラにはナイロビ市の5分の1くらいにあたる、100万を超す人間たちが暮らしている。ルワンダでもそうだったが、成長と発展を急ぐ途上国にとって、強制移転に伴う人権以上に、インフラ整備は緊急の課題ということだ。確かに街中の渋滞は緩和され、車の流れはスムーズ。渋滞から来るビジネス的損失を考えれば、生産性は上がったかもしれない。
しかし、反対に失業中の人間たちの生活はさらに破壊された。一方マサイマラ国立保護区のサファリからの帰り、飛行場へ急ぐ旅行者にとっては、今まで市内の渋滞に巻き込まれ、飛行機の出発時間に遅れそうになる不安は解消されたかも知れない。
たしかに車はスムーズに流れ、ほとんど心配なく計算通り飛行場に着く、その時ちょうど高速道路を走るわれわれは左右に広がる赤茶けたトタン屋根群=キベラスラムを間近に見下ろして通り過ぎる。スラム問題をほんのちょっと垣間見ただけのわれわれはその時、きっと満足な気分でエアポートに向かっているのだ。
余談だが、2013年の某番組取材時では、ちょうどキベラスラムを通り抜けるこの高速道路建設の現場を取材した、横腹に〝中国道路〟と書かれたブルドーザーが赤土を巻き上げながら轟音を響かせていた。運転席には麦わら帽子を被った中国人が座っていた。カメラを回すワレワレに向かってピックアップが砂埃を巻き上げながら突進してきた。中国人が車から降りるや、〝撮影ストップ!〟と叫んだ・・・、結末は、どこか機会があればお話しします。
b.「ゴミ」
しかし、強制排除以上に深刻なのがスラムを埋め尽くすごみ問題だ。ナイロビ市に隣接し100万人以上が暮らす広大なスラムの地形は変化に富んでいて、全体が緩やかな傾斜地だ。そこを数本の小さな川が流れている。当然、公のゴミ捨て場もなく人々は身近な場所に捨ててゆく。一説にはキベラスラムの人口は150万近いという見方もあり、それは日本の神戸市とほぼ同じだ。そこがゴミ処理施設もなくただ捨てるに任せているというのは恐ろしい光景だ。衛生上も問題が多い。
視覚的にもっともきついのは、小さな谷と化した流れの土手にそって捨てられたゴミ入りのビニール袋がうず高くこれでもかと列をなしている光景だ。人間とゴミが共存している。生ゴミ、紙類、鉄類、その他ありとあらゆるものが足許に散らばっている。人びとは丹念に拾い集めリサイクル活用している。ナイロビ市、ケニヤ政府にとってスラム問題の処理。解決は、ケニヤ全体の発展のカギを握っているといってもいいくらい極めて重要な問題だ。
c.「マゴソ・スクール/情熱とエナジー」
両親が旧満州の引揚者だった早川千晶さんは福岡で生まれた。成人してからしばらくアフリカを旅した後ケニヤにたどり着いた。やがてキベラスラムに居住し、キベラを拠点に社会活動を開始してから30年以上たつ。
そうした活動の中心にあるのがマゴソスクール(マゴソ学校)だ。スラムで暮らす500人以上の子供たちが通っている。もちろん授業料など払えない中、さまざまな生活自立活動(雑貨、土産物制作販売等々)、寄付などで学校を運営している。優秀なケニア人スタッフに恵まれ、今では大学へ進学する者、さらには日本への留学を実現した者までいるようになった。
早川さんを一言で表すとすれば、「情熱」、そしてそれを支える「エナジー」の塊だ。キベラスラムを案内しながら、止まることなく次から次へと言葉が吐き出され、キベラとそこに暮らす人々への思いやりと共感がひしと伝わってくる。それにしても何が早川さんをそこまでのめり込ませ、熱くさせているのか--言葉で答えを探す前に、一度早川さんに会ってもらいたい。〝情熱〟への人それぞれの答えが出て来るにちがいない。以前、早川さんを日本のテレビ番組で紹介しようかと考えたが、実際に彼女を目の当たりにしたとき、この方は陳腐な日本のテレビ番組、予定調和的涙と感動を要求するテレビにはとても収まりきれないと感じた。確かにたくさんの人に知られることは大事だが、一方で、別に知られなくても、そこで自分なりに精いっぱい咲いていればそれで、十分だという気がする。是非、一度マゴソ学校と早川さんに会いに行ってほしいと思う。
d:「空腹/カップ一杯のご飯」
途上国の未来にとって教育が重要なのは論を待たない。学校はそれを具体化する場だ。
だが、その前にもっと大事なのは、子供たちのお腹を満たすことだ!アフリカの多くの子供たちは常に空腹に辛い思いをしている。みなさんは子供のころ、満足に食べられず、いつも腹が減って辛い思いをしたことがあるだろうか・・・。これほど切なく、悲しいことはない、腹が減っていては読み書きどころではない。人間としての正常な成長も阻まれる。
アフリカ紛争を取材してきたわたしは、紛争地、戦地の至る所で空腹/飢餓で苦しむ子供たちの生の姿をこれでもかというくらい目にしてきた。映像にも撮った、まるでお腹の中にバスケットボールが入っているのではないかと思えるくらいに栄養失調で膨らんだお腹、その反対に手足は枯れ木のように痩せ細り、精気を失くした顔、顔、顔、そうした子供たちがたったいっぱいのご飯にありつこうと列をなしている。とくに当時の南スーダン、ソマリアはひどかった。別に戦地でなくとも、今でも貧困の向こうには、声なき子供たちが今も腹をすかして無限の列をなしている!学校(教育)とご飯(食)--これは一体として解決を考えなければならないきわめてシリアス、重要な問題だ。(ここはこうした問題を論ずる場ではないので、個人的思いと怒りはこのくらいにしておきます。)
なぜこうしたことを書くかというと、キベラスラム、マゴソ学校でも、そうした光景を改めて目の当たりにしたからだ。そこには、(紛争地と)同じ光景があった---
お昼ご飯(給食)の合図の鐘がなると、ご飯が煮えたぎる大きな釜の前に、小さなプラスチックのカップを手にした子供たちが集まって来る。そして順番を待つ列を作る。この小さな一個のカップこそが彼らがマゴソ学校に集まるワケといっても言い過ぎでないくらい、重要なイベント、儀式だ。きっと子供たちの小さなお腹は鳴っているにちがいない。ご飯を待つ子供たちの顔は、遊んだり、勉強したりしている時の顔とは全然違う。どこか心の底からの喜びを押し殺したような、なんか複雑な、それでいて待ち切れない歓びに満ちた顔をしている。
途上国の教育を考えているみなさん、どうか、読み書き以前の空腹の問題解決も一緒に考えていただけたらと思います。ルワンダ、キガリでウムチョミザ学校を運営している、マリルイズさんも、そのことの重要性に気づいていて、数年前から、反対する子供たちの親を説得して給食を始めた。スタツアで何度も訪問し、タイミングが合えば子供たちと一緒に給食をいただいています。
最後、子供たちと歌ったり、踊ったりしながら、別れを惜しみました・・・・
ツアー二日目はだいたいこんな感じで終わりました。
▶連載2回目へと続く
⇒「中国、一帯一路(One Belt One Road)建設現場訪問」他