体感型アフリカツアー

〝中国のアフリカ進出についてどう思われますか?〟

〝I have no answer〟

 

 これは、メディアの質問に対して答えたあるアメリカの有力議員の答えだ。

明らかに、ある種の戸惑いというか、今、誰一人として明確にこの質問に答えられるものはいないということだ。それほど、ここ10年、いや20年、中国のアフリカ進出は圧倒的であり、他人(ヒト)に思考の余地を与える間もないくらい迅速だ。こうした現実に対して反中国、嫌中国の立場からの批判は簡単だ。

〝新たな形の植民地支配だ〟〝地元の利益を考えない自己利益追求にすぎない〟等々。

だが、現実はそうした批判をいともたやすく吹き飛ばすくらい圧倒的だ。(今回のツアーでは、その一端にすぎないがこの目で確かめに行った。)

 

 〝新たな植民地支配〟について言えば、かつてのヨーロッパ諸国による非人間的、苛酷な植民地支配の現実を知れば、そうした批判はあっという間に吹き飛ぶ、どれほどかつての植民地支配が非人間的支配と搾取に満ちていたか---19世紀末コンゴの奥地への旅の体験をもとにして書かれたジョセフ・コンラッドの体験的ドキュメンタリー小説『闇の奥Heart of Darkness』を一読するだけでよい。同書は20世紀の100冊の中の一冊に選ばれている。

 

 奴隷的支配、鎖、強制労働、手首の切断、鞭打ち(当時、ヨーロッパでゴムタイヤが発明され、ゴムの需要が一気に伸びると、コンゴ自由王国の支配者レオポルド王はコンゴ奥地に自生する野生ゴムの収穫と増産をほとんど奴隷状態のコンゴ人たちに命じた。ノルマに達しない者たちは罰としてムチ打たれ、怠け者として手首を切断された。その間、妻たちは人質として鎖に繋がれ夫の帰りを待った。鞭打ちの罰はとくに非人間的で、乾燥させたカバの皮でできたチコーテと呼ばれる鞭で20回打たれると意識が朦朧とし、時に死に至るといわれた。)、読み進むほど恐ろしすぎてページをめくるのがためらわれる。

 

 〝自己利益追求〟批判については、そもそも、どのような現地(アフリカなど)独裁政権、腐敗した政府であろうと、一応の援助、投資などに関する両国政府の合意がなされている。かつて5年、10年前、やれ囚人、犯罪者を連れて来て現場で働かせている、賃金が奴隷並みだなどなど、いろいろと批判されてきた。だが情報化が進んだ今の時代、世界の目、批判に対しては敏感に、そして迅速に反応し学習を積み重ねてゆくのもまた中国的したたかさだ。

 

 長い間言われてきた工事は速いがクオリティが悪いという批判も、道路建設関係の日本の技術者に聞いたところ、今では中国の道路建設は日本のそれと比べてもほとんど遜色がないという。技術とその移転は日進月歩だ。しかも食うか食われるかの企業間の仕事、市場獲得の世界だ。先日話題になった5G、HUAWEI(中国の通信、携帯会社)のアメリカとのバトルを見れば一目瞭然だ。


 2014,5時点で中国の対アフリカ貿易額は軽く20兆円を超えている、すべてはこの数字の中での議論、解釈だ。

 

 この数字がどれほどのものかといえば、日本の対中国貿易総額は30数兆円だ。中国はアフリカという植民地支配の後遺症に苦しみ、見捨てられた大陸を先見の明を持ってゆっくりと着実に取り込み、開発(投資)してきたのだ。中国の対アフリカ関係は毛沢東、周恩来の1960年代からすでに始まっていた。お互い貧しい国同士、帝国主義の支配と戦うために戦ってきた。1970年~75年の間に建設されたタンザン鉄道(TAZARA)はその象徴だ。中国、アフリカ人労働者たちの多大な人的犠牲を払いながら、5年の歳月をかけて建設されたダルエスサラーム~ザンビアの町を結ぶ延長2000余キロの鉄路は今なお現役として稼働している。

 

 あるときわたしはTAZARAが走る村の近くを取材していた。疲れたのですぐそばを走る鉄道線路の盛り土の上に上がった。一直線に伸びる鉄路ははるかサバンナの彼方に消えていた。ふと足元の枕木(コンクリート)を見ると、文字が刻印してあった。見ると「中華人民共和国」という文字が刻まれていた。次の枕木にも、次の枕木にも、そしてその次も、ほとんどすべての枕木に同じ文字が刻まれているのがわかった。おそらく、ザンビアの町まですべての枕木に刻まれているのだろう。わたしは衝撃を受けた。その力、意志、スケール・・・島国の人間が考える〝仕事〟を超えている。今とちがって中国自体に金のない時代だ。

 

 タンザン鉄道建設から40年余、そして今、20~30兆円規模に達する巨大なパートナーを手中にしたということだ。しかも、中国の対アフリカ進出が他の国と大きく違うのは、金、モノと一緒に人間がアフリカに渡り、そこに根を下ろすということだ。

 

 人間、金、ものの全的移動・・・、冒頭に紹介したアメリカの議員の〝I have no answer〟という答え-おそらく理解を超えている?-も、頷ける。それは奔流といっていい。今、この奔流に正面切って立ち向かえる国はおそらく一つとしてない。

中国の対アフリカ最終的--それはアフリカの「Next China」化、即ちアフリカを次の、もう一つの中国することだ。三国志のドラマではないが、スケールが大きすぎて島国的発想、枠組みでは分析不可能だ。


 一応、今回のスタツア--アフリカ・ジャーナリストが案内するツアー「現場に行こう」は、そうした奔流の一端でもよいから感じたいという考えから催行された。

 

 ツアー3日目、「中国、一帯一路建設現場訪問」の午前中は、おもに中国が建設した道路インフラを中心に見ることにした。その最大にして最高の事例の一つであるThika-Road/ハイウエイ、バイパス、そして環状道路を見学、ポリス同行の下、われわれは車を降りて道路端の歩道を歩いた。たくさんの車が行きかい、ナイロビの経済、市民生活の大動脈という感じがした。 

 

 ランチボックスを持参しているので、そのまま午後は、最大の目的であるナイロビ郊外に建設されたSGR(広軌鉄道)の現場を訪ねることにした。先にも書いたように中国・ケニア両国の威信をかけた巨大投資である。その裏で多くのことが動いた。たとえば契約の透明性、そして何よりも賄賂をはじめとした腐敗的行為corruptionの噂だ。当然多くの関係政治家が絡んでいる。もとよりおおっぴらに訪ねて全面公開できる類ものもある、とくに訪ねようとしているSGRとその建設現場はその象徴である。

 

 在京、在ナイロビ、どちらの中国大使館との何回にもわたる訪問許可交渉でも、ことごとく許可は下りなかった--もちろん、それでも現場に行ってみるのがこのツアー,アフリカ・ジャーナリストが発想し実行する〝ありえないツアー〟だ。


 わたしと参加者4人、ケニア人ガイドのS、そして万が一に備えて雇ったポリスを乗せた車が現場--鉄道建設自体はだいたい終わり、現在は最終チェックとメンテナンスが主流、一部駅などはまだ工事していた。--近づくにつれ、Sが〝見てくれ、この道、穴ぼこだらけのガタガタだろ!〟〝現場を頻繁に往復する大型ローリー(トラック)が掘った穴だ、見てくれこのホコリ〟

 

 紛争地取材ではいつもそうだが、「現場の核心」が近づくにつれ、それまでとは明らかにちがう空気、風、そして匂いが立ち込めてくる。なにかが違うのだ。労働者たちのただの宿舎さえ、どこか違って見えてくる・・・。今回もそうした風が確かに吹いていた。他の参加者の皆さんには感じられないかもしれないが・・・確かにわたしには何か「ヤバい風」が匂った。

 

 やがて、SGR鉄道高架下に着いた。

 

〝be careful、sensitive,sensitive(微妙な問題、微妙な問題)!〟をSは連発し、〝気を付けて早く撮影してね〟と忠告していた。

 

全員車を降りた。

 

わたしも〝すいません、できるだけ手早くお願いします〟と言った。

バシャ、バシャ、ぱち、ぱち・・・

20mくらい上にある高架鉄道、巨大な橋脚等々、みなここぞとばかりに撮影(カメラ、スマホ、タブレット、ビデオ・・・)に集中している。

 

その時、予想外のことが起きた。

 

ワレワレは万が一の時に備え、高い金を払ってポリスを乗せていた。

たしかに彼は手にした無線(ラジオ)を口に当て、しきりに交信しながらあたりを警戒していた。一瞬、男(ポリス)の顔が変わった。

次の瞬間、Sの忠告を振り切り男は車を降り、走るようにどこかに走り去った。(ただ、しっかりと弁当を手にしていたのは見た。)

何が起こったのかすぐには分からなかった。

 

〝STOP!、すぐに車に乗ってください!

 

Sは車に乗ると、運転手にすぐに車を出すように言った。

こうした場合、弾が飛び交う戦場では「即撤退」が原則だが、別に弾が飛び交っている場ではないので、あきらめの悪いわれわれは、車に乗った後しつこく高架下沿いに橋脚を見ながらゆっくりと移動した。やがて左手に新しい○○駅が見えてきた。かなり大きく派手な色彩の建物だ。その後、完全に〝準危険地帯〟を脱したワレワレは何があったのかSの説明を聞いた。それはこうだ---

 

無線の交信をチェックしていたポリスはガ、ガ、ガガッ、という雑音混じりのその中に

 

〝おい、ヤツラだぞ!撮影してやがる〟

〝何度も拒否し撮影禁止って言ったヤツラだ〟(Sは何度も現場事務所に通い撮影、インタビューの交渉をしていた)

〝すぐにレポート(報告)しようぜ!〟

 

という交信音が聞こえ・・・

さらに、正面から走ってくるSGR関係車両には、Sが何度も交渉し、ケンカ腰で断られた男--Sによれば青いTシャツの男本人が偶然にも乗っていたのだ。Sは冷静だったが、無線交信の会話にポリスがことの面倒くささを知り、ビビッてしまったのだ。

 

 それにしてもドンピシャなタイミングで関係車両、男と出会い、交信を聞いてしまったワレワレは持っているとしか言いようがない。

 

 帰路の途中、ガーデンカフェ付きの素敵な土産物屋に立ち寄り、みなさんはショッピングを楽しんだ。ナイロビ周辺での日程を終え、その後マサイマラでサファリを楽しんだが、その帰り、時折SGRを遠く横目に見たり、時に高架下を潜り抜けた。

 

 途中、結構な頻度で道路沿いにケニア・中国の国旗が描かれたSGR計画の概要を表す看板が立っていたので、Sに車を止めて写真を撮っていいかと聞いた。

Sは怒ったように

〝100mごとにポリスが立って監視しているんだ!〟

わたしは一言〝了解〟と返事をした。

 

 

▶SGR(広軌鉄道)データ

*ルート/ナイロビ~モンバサ(海岸都市)

*建設企業/China Road&Bridge

*総工費/3270億ケニアシリング(約3300億円)/第2ステージ

*第2ステージ/1500億ケニアシリング(約1500億円)

*将来的にウガンダ、ルワンダ、南スーダンへ延長計画あり

*予定乗降客数/6000人(1日)

*50000人雇用創出

*収入予定/1億円(1日)

*33駅(約500キロ間)

*スタッフ、従業員数/3500人(内ケニア人2800人

 

  • フレックス・インターナショナルが主催、催行しアフリカ・ジャーナリストが現地を案内させていただく〝アフリカ・スタディツアー〟は、御覧のように、ほとんど取材に近いか、時にそのレベルのツアーです、これまで、ケニア、ルワンダ、タンザニア、コンゴ民主共和国などの国とそれぞれの現場が抱える課題等を知り、学び、交流することを中心に訪問してきました、訪問先はだいたい以下です----。

 

▶難民キャンプ(ケニア:Kakuma、タンザニア:Nyarugusu、ルワンダ:Kigeme,Kiziba)、元少年兵更生施設(ルワンダ)、虐殺教会(ルワンダ)、性的暴力被害者リハビリ病院(コンゴ)、戦争未亡人自立NGO(ルワンダ)、スラム(ケニア)、各地国境線、ナイロビ(ケニア)証券取引所、ルワンダ外務省、在アフリカJICA事務所、日本大使館、中国大使館訪問(ルワンダ)、学校(タンザニア、ルワンダ)、起業家(ルワンダ)、ドローン基地(ルワンダ)、テレビ局(ルワンダ)、中国、一帯一路建設現場(ケニア)、マサイ族村(ケニア)、アフリカ地溝帯+タンガニーカ湖(タンザニア)、そしてサファリ・ツアー(マサイマラ、ケニア)etc・・・・

 

 

★本記事は、2019年夏ケニアスタディーツアーへガイドとして同行した大津司郎氏によるツアーレポートです。

 

▶連載3回目へと続く

マサイ族の学校+サファリ in MasaiMara—