体感型アフリカツアー

2016年、毎度のことだが日本ではほとんど報道されなかったが、世界的に注目を集めた裁判が、オランダのハーグにある国際刑事裁判所で開かれた。非常に興味ある問いかけ、裁判なので元少年兵のリハビリ・センターを訪ねた者として考えさせられた。

 

記事の一部を「The East African/10th‾16th/12/2016」紙から抜粋してみます。

 

─── Lord`s Resistance Army(LRA/神の抵抗軍)の幹部だったDominic Ongwen(1975年生)の裁判が先週オランダのハーグのICC:国際刑事裁判所で開かれた。多くの罪状が提出された。だがそれらはどれも深い倫理的難しさを提起した。はたして強制的に殺し屋に仕立てられた少年、少女たちの行動の責任をどこまで問えるのか。同時に政府軍の兵士たちがとった同様の行動(LRAの支持者とみられる多くの民間人に対する殺害を含む多くの人権侵害行為など/筆者注)もまた精査され、場合によっては拘束、裁判が開かれるのだろうか。さらに勝者の裁判にならないという保証はどこにもない。ドミニク・オングエンは2015年、アメリカとウガンダ軍を中心としたテロリスト追及軍に中央アフリカで捕まった。

 

─── ドミニクは10歳の時にLRAに誘拐され、リーダーのジョセフ・コニの被保護者になる。裁判では戦争犯罪(殺人、残酷で非人間的行為、民間人への残酷な仕打ち、民間人への攻撃の意図的指令、略奪など)と人道に対する罪(殺人、奴隷化、残酷な非人間的行為)を中心に70の罪状が挙げられ、この中にはさらに、レイプ、性奴隷化、拷問、略奪、15歳以下の子供の強制的徴兵なども含まれる。これらが裁判では審理される。ICCの歴史で犯罪実行者である少年兵を裁くのはこれが初めてだ。実にこれはデリケートな裁判になるだろう。

 

─── 同情的見方もある。彼は強制的に犯罪に加担させられたのです。彼(ら)を保護できなかった政府にも責任はあります。彼は加害者というより‘犠牲者‘です。リーダーのコニの命令に従わなければ殺されたでしょう。許されるべきです。

 

*LRA(神の抵抗軍)は1987年〜2006年まで主にウガンダ北部で反政府ゲリラ活動を行っていたが、ウガンダ政府軍の掃討作戦によって、南スーダン、コンゴ民主共和国、さらに中央アフリカへと移動しながらその活動を展開している。アメリカ政府によってテロリストに指定され、現在は勢力規模は縮小、散発的ゲリラ攻撃を行っている。国連報告によればLRAによって殺された数約10万、誘拐された少年、少女約6万となっている。

 

─── LRAや民族対立などかつて長期にわたって対立と戦いが続いたウガンダ北部の町グルに住む人権問題専門家のLino Ogora氏は、自分たちのコミュニティを維持し、地域の平和を保つための手段として、赦し(forgiveness)は文化としてこの地域に根付いています。彼もまた許されるべきでしょう。そしてこうした赦しがない限りいつまでたっても紛争、対立は終わることがないのですからと語っている。

 

みなさんはこうした問題をどう考えるでしょうか。たった10歳で誘拐され”犯罪”を強要されたのだから彼に責任はないと視るのか、それとも、いややはりその後に冒した罪は相応に償われるべきだとみるべきなのか。どのような審判が下されようともそれはICC(国際刑事裁判所)が下した判決だということだ。余談だが今、ICCとアフリカ各国の政府との関係はその容疑者指名をめぐって対立している。人権侵害、汚職腐敗等々、ICCが訴追する容疑者の多くがアフリカ人に偏っているとスーダン、ケニヤなど一部アフリカ政府関係者は異議を唱えている。

 

これはもちろん、30年近く武装ゲリラ、テロ組織で経験を積んだ幹部の話である、ワレワレが出会った元少年兵たちとは立場が違う。ワレワレが会ったのは13歳からどんなに年がいっていても18歳くらいの元少年兵たちである。センターの入り口の手前に立っている看板にも書いてあるように、彼らは武装解除され、そして何よりももう一度社会に戻って行く(reintegrate)存在として扱われる。それがルワンダ政府の方針だ。彼らが社会に再統合されてゆく過程で彼らの”罪”は贖われてゆくということだ。もちろんいくつかのルポにもあるように社会への再統合といってもたやすくない。とくにルワンダに両親または引き取り手の親戚がいない場合などとくに難しいという。仕事を世話されて始めても長く続かなくドロップアウトしたり、またコンゴに戻ったりしてしまう可能性も否定できない。


少年兵、子供兵(child-soldierの直訳で、少女兵もいるから)などいろいろな言い方があるが、正確な規定は難しく機関、団体等によってもその規定は違っている。ルワンダの関係者、あるいは友人などまわりはchild-soldierという言い方はあまりしない、というか聞かない。彼らは彼らのことをex-combatant元戦闘員と言っている。確かに10歳〜15歳くらいまでなら子供兵と呼ぶのもありかもしれないが、15歳以上、たとえば17歳の元戦闘員を子供兵士とは呼びにくい。かれらは明らかに青年(youthであり、もしくはadolescent15歳から20歳前半)である。

 

こうしたことは”少年兵”に限らず子供たちを区分するときにどの社会でも多くの見方、分け方があるのと同じだ。また社会的背景や、それぞれが生きてきた文化的背景/価値観によってもまったく異なる。15歳で大人とみなされる社会はざらにある。当然彼らは少年兵、ましてや子供兵では全くない、大人兵である。

 

また機関、団体によっても規定、区分は異なる。先ほどのICCは15歳以下とし、ICRC(国際赤十字)は年齢との関係は比較的緩く規定していて年齢にはあまりこだわってない。直接の戦闘員とそれ以外−−メッセンジャー、料理係、ポーター、スカウトなどは”少年兵”とは区別する見方もある。またILO(国際労働機関)などは、兵士というとらえ方ではなく、(強制的)児童労働の形としてとらえ、児童の奴隷労働という形の犯罪行為とみている。

 

ただいずれの場合でも最近の”少年兵”で最も問題とされているのは国際機関による阻止勧告、モニタリングが可能な政府軍系に雇われているケースではなく反政府武装ゲリラ組織などの非国家アクター(non-state actor)に雇われている”少年兵”である。”元”少年兵からの聞き取りによる実態は知れても、”現役”少年兵の実態解明は簡単ではない。いずれにしても今回の元LRA幹部だったドミニク・オングエンの裁判の行方を世界は注視している。

 

その夜泊まったムサンゼ(旧ルヘンゲリ)は標高が高いためか、夜には冷え込む。フロントに言ってもう一枚毛布を借りて眠りについた。明日はコンゴ国境からキブ湖の東側を走ってキブエに向かう。

 

第4回