第15回:キャンプのリアル
車を降りてMHAのレヤに、どこかの家を訪問していいかな、と聞くとレヤは何となく歩き始めた。ボクラも彼について行った。あたりは意外と開けた場所だった。両側にテント、仮設の小屋が並び、どのシートにも〝UNHCR〟という文字がプリントされここが確かに難民キャンプであることを証明?していた。ひまわりには畑も混じり、生活感、暮らしの落ち着きも見られた。お昼をまわり陽射しはさらに強くなっていた。
ニャルグスキャンプは90年代のコンゴ戦争を逃れたコンゴ人難民たちのために作られ、さらに続いて起きたルワンダ、ブルンディ紛争の混乱を逃れた難民たちが国境を越え流入した。その後ブルンディに平和が戻るとブルンジ難民たちは帰還したが、約6万人いる一方のコンゴ人難民たちはコンゴに平和が戻らないために以後、ずっとタンザニア内のキャンプで暮らしている。
しかし2015年4月のンクルンジザ・ブルンジ大統領の三選(選挙)挑戦表明の後に起きた対立と混乱で再び大量の難民が発生、さらに難民キャンプとして整備され現在ではニャルグスだけで12万近いブルンジ難民が暮らしている。しかしブルンジ難民問題以上に難しいのが実はコンゴ難民たちの本国帰還だ。現地UNHCRのスタッフの説明によれば、一般的に難民には3つの選択肢があるという。(1)本国への帰還、(2)第3国(アメリカ、カナダといった主に先進国)への選抜的移住、(3)ホスト国(この場合はタンザニア)への定住、現時点で激しい戦闘は停止しているものの、依然東コンゴ一帯 には60を越す武装勢力が存在し、活発にゲリラ活動を展開している。鉱山の争奪、村々への強襲、そして絶え間ないレイプ等々、コンゴ人難民たちが安心して帰れる状況ではない。以前スタツアで何度か訪問したルワンダ国内にあるルワンダ系コンゴ人難民キャンプもまた同様の問題を抱えていた。民族対立、政治の混乱、さらに資源争奪、そして貧困問題等々、今難民問題は新たな解決困難な課題に直面している。明らかに解決に対して世界が十分な答え、解決策を準備できてないのが現状だ。ボクラの目の前にその現実があった。
2016年2月に催行した「現場へ行こう」タンザニア・スタディツアーに関する大津氏の手記。このツアーでは、大津氏独自の現地コネクションと強い安全への意識のもとブルンジから多くの難民が押し寄せるニャルグス難民キャンプを訪問しました。アフリカに30年以上通い続ける大津氏が、ツアーの様子や裏話、旅に関する教訓などを記しています。そこには参加されるお客様への思いも・・・。(連載/全19回)。