体感型アフリカツアー

第14回:キャンプ内

 キャンプ訪問でまず行かなければならないのは、実質キャンプを仕切るMHA(内務省)のオフィスだ。挨拶と許可証の提示だ。その間みんなには車の中で待ってもらっている。あいにく前回のロケで少し親しくなったボスはいなかったが、NO.2のオフィサーがいた。彼も前回の顔見知りでフィリップとは親しかった。キャンプ内は必ず関係者が同行しなければならないので彼にお願いして一緒に回ってもらうことにした。

 

 しばらくテント群の間を走ると少し開けたところに出た。それにしてもだいたい何処もそうだが、土の色が赤い。それがどこまでも高い空に映え、アフリカらしさ?を醸し出している。青い空の彼方には雲が湧きあがり、強烈な陽射しがテントに照り付けている。一たび車を降りるや、もう周りにはたくさんの人たちが集まり、中には話しかけてくる者もいる。とくに凄いのは子どもたちだ、ずっと着ているに違いないサイズの合わないもらい物(援助物資)の服を着たたくさんの子供たちが、波のような輪となってボクラに押し寄せて来る。遠くからもこっちを目指して駆けっこで集まって来る、その数30、いや50。それに十分栄養が足りているとも思われないが、みな元気だ、そしてどの顔も明るい!いったいどうしてなんだろう。もちろんボクラの知らないところで、学校にも行けず、腹をすかし、泣いているかもし れない。でもボクラの周りではカワイ過ぎるくらい明るく元気だ。中には〝誰が作ったのだろう〟本物のサッカーボールは望むべくもない環境で、布にたくさんの紐を巻いた手製のボールを持っている子供もいる。お父さんや、お母さんの苦労は知っているのかな。中には混乱のブルンディを両親に手を引かれ、命からがら逃げて、キャンプにたどり着いた子供もいるに違いない・・・。この母親?手作りのサッカーボールを見るとボクは、いつもなんだか泣けてくる。

 

 ルワンダでもコンゴでも、スーダン(現南スーダン)でもそしてソマリアでもこの手製の今にも壊れそうな〝けな気〟なボールをたくさん見てきた。ボクも小さい時、母親の手作りのパンツをはいていた。そんなことを見るとアフリカの抜けるような青い空の下でも涙が出てくる。今は亡き母の姿がふと心をかすめる、でもそんな感傷も何処へやら、子どもたちの取り巻き、手を握る作戦は終わらない。4人の内のそれぞれのお気に入り?のムジャパニ(日本人)の手を握ってくる。何かに餓えているのかなあ・・・、ボクはわずかな一瞬、〝あ、ああ~〟、今、みんなを確かに間違いなくタンザニアの難民キャンプに連れてきていると、あの時の思いは何と実現しているではないかとプチ満足に浸った。

 

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2016年2月に催行した「現場へ行こう」タンザニア・スタディツアーに関する大津氏の手記。このツアーでは、大津氏独自の現地コネクションと強い安全への意識のもとブルンジから多くの難民が押し寄せるニャルグス難民キャンプを訪問しました。アフリカに30年以上通い続ける大津氏が、ツアーの様子や裏話、旅に関する教訓などを記しています。そこには参加されるお客様への思いも・・・。(連載/全19回)。