第13回:ニャルグス難民キャンプへ
昨年のロケの時もそうだったが、カスルからキャンプへ向かう道は、時折武装した強盗が出るということで、まだ暗い早朝にカスルの町を出ることはできない。どんなに早くとも7時過ぎ、だいたいは8時前後らしい、念を入れてボクラは9時半出発ということにした。
途中、UNHCRの日本人スタッフ、Kさんの乗った車が追い抜いて行った。キャンプ入口の町?マケレまで何となく気分の悪い場所が2か所ほどある。手前には警察のポストがあるが、そこを過ぎるとしばらく無人の森やサバンナが続く。いつもそうだが、いきなり藪の中から武装したゲリラ集団が飛び出てきたら、どう対応するのか、シュミレーションみたいなものを考えてみる。しかし、おそらく現実はさらに危険で、対応の間すらないだろう。この道に時折強盗が出ることは、 余計な不安を与えてしまうのでみなさんにはもちろん面と向かっては言ってない。〝デンジャラスゾーン〟通過中は緊張のため少し体に力が入る、見覚えのある村がいくつも出てくると、もう安心だ。
マケレの町でトイレ休憩したり、地元の兄ちゃんたちとふざけ合ったりした後、いよいよキャンプへのアプローチだ。検問でドキュメントを見せると、ロープが降ろされ、車の通過が許される。もうここは難民キャンプの敷地の一部だ。道の両側には頭に燃料用の焚き木を載せた女性の一団が歩いている。よく写真で見るアフリカ難民の典型的光景だ。後はいよいよ、本丸であるMHA(内務省)のオフィスに行き、あいさつとキャンプ巡回の最終的OKをもらう。もう道の両側にはブルンディ難民たちのテント集落が見えている。元気よく挨拶する子供たち、大人たちもあまりぎすぎすしてはなく、 時折笑顔も見える。こないだ通ったMSF(国境無き医師団)のオフィスや、オックスファム(OXFAM)が作った簡易水道やゴム製の大きな水タンクもちらほら見えてくる。まわりにはたくさんの難民たちが水を汲むために集まっていた。
2016年2月に催行した「現場へ行こう」タンザニア・スタディツアーに関する大津氏の手記。このツアーでは、大津氏独自の現地コネクションと強い安全への意識のもとブルンジから多くの難民が押し寄せるニャルグス難民キャンプを訪問しました。アフリカに30年以上通い続ける大津氏が、ツアーの様子や裏話、旅に関する教訓などを記しています。そこには参加されるお客様への思いも・・・。(連載/全19回)。