体感型アフリカツアー

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ワタシは、長い間、仕事(ジャーナリスト、TVコーディネーター、ツアーガイド等)でアフリカを往復してきた。その間、余裕のある時に限って現地アフリカで、1回2~3冊の本を買ってきた。今ざっと数えると300冊近くなってきた。主要都市(ナイロビ、カンパラ、キガリ、ダルエス・サラームなど)の書店で、あるいは、時間待ちの飛行場(ドバイ、ドーハなど)で買っては、それをリュックの中にしまい、文字通り背負ってコツコツと運んできた。このコーナーではそうした本の中でもとくにワタシに影響を与えてくれた本を紹介してゆきたいと思います。

 

「The State of AFRICA」
著者:MARTIN MEREDITH / 2005

 

最近のアフリカの仕事では、エミレーツ、カタールなど中東系のエアラインを使うことが圧倒的に多く、当然アフリカ大陸への中継点としてドバイやドーハに立ち寄る。

ドバイ、ドーハは以前にも増して世界の交錯点としていつも多勢の人間たちであふれているワタシの個人的考えだが、当然そこにある本屋(Book Shop)に並ぶ本は世界の関心、ニーズの表れであり、まだ世界のメディアの今、最前線であると考えている。

ジャーナリストという仕事上、必ずワタシはそうしたBook Shopに立ち寄って、そしてここ10年近くそうしたBook Shopのベストセラーの棚に並んでいるのは、この「AFRICA」だ。それは、日本では決して知ることができない、世界のアフリカに対する関心の高さと言っていい。本の内容的にも決して色あせることなく、アフリカ現代史を描ききっている。特に90年代を中心に立て続けに起きたアフリカ紛争の記述はコンパクトでVIVIDだ。日本に類似書はない。

 

「WAR & HUNGER」
著者:JOANNA MACRAE / ANTHONY ZWI/ 1994

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ワタシの紛争取材(特に紛争と飢餓)の原点の1冊だ。紛争が生み出す多くの犠牲者―特に骨と皮だけになって死の淵(ふち)をさまよう子供たちの姿は強烈だった。一体この写真は何なのか―その向こうで一体、何故、ダレとダレが戦っているのか―彼らに救いの手はないのか―それらは、アフリカ紛争地からの強烈な呼び声だった。

1992年12月、初めて一人で8mmビデオカメラを持ってアメリカ軍上陸直後のソマリアへ飛んだ。その帰り、ナイロビ(ケニア)の本屋で見つけたのが、この1冊だ。それは、さらにワタシをアフリカ紛争取材へと導いた。翌93年には、“ハゲワシと少女”の舞台、スーダン(現南スーダン)へと飛んだ。さらにルワンダからコンゴ(ザイール/当時)そしてアンゴラへと取材は続いた。

※私見だが、特にアフリカ紛争に関してこうした視点、研究からの紛争や飢餓に対するアプローチがほとんどないまま、日本では一気に平和構築とか国際援助協力と言った“概念”に飛躍してしまっているのではないか。それ以前の現実/リアリティを知り、教わる機会のないまま、(メディアもそうした視点で報じることはほとんどない)“感動”と“涙”というセンチメンタルにいってしまっているのではないか―。ワタシは、この「WAR&HUNGER」から、たっぷりと良くも悪くも欧米ジャーナリズムが伝える援助とアフリカ紛争の今と最前線を学ぶことができた。そうした見方をベースに、個人的(日本的)情(Story)を加えたCNNで言うNews story レポートを送り続けた。そして、これからも送り続ける。

 

「THE BANG-BANG CLUB」
著者:GREG MARINOVICH / JOAO SILVA / 2001

THE BANG-BANG CLUB

南アフリカにおけるアパルトヘイト体制(白人支配体制)打倒の戦いは、すでに1950年代後半から始まっていたが(故ネルソン・マンデラ氏の逮捕は1963年)、戦いは単に白人対黒人といった対立だけでなく、主導権争いも絡んだ黒人間の戦いもまた熾烈だった。とくに南ア独立を間近に控えた90年代に入ってから、首都ヨハネスブルグ郊外のタウンシップ(township/黒人労働者居住区)を舞台にした黒人対黒人(主に政権の支持を受けたズールー族主体のINKATHAインカタ対コサ族主体のANCアフリカ民族会議)の戦いと暴力は流血と多数の死を招いた。

当時命がけで〝タウンシップ・ワー〟をドキュメントしてきた4人の男たち/フォトジャーナリストの集まりをいつしか「BANG-BANG CLUB」と呼ぶようになった。本はリーダー格のマリノビッチを中心に執筆されているが、事実経過のみならず彼ら一人一人の心理描写、分析が分かりやすく描かれていて見事な一冊だと思う。

このメンバーの一人に、ケビン・カーターがいる。ケビンは1993年、取材のため内戦と飢餓に苦しむスーダン(現南スーダン)へ飛んだ、そこで彼は後に〝ハゲワシと少女〟と呼ばれる写真を撮りピュリッツアー賞を獲った。しかし、ニューヨークタイムズに写真が掲載される(93年3月)や、何故少女を助けずに写真を撮っていたのかという世界中からの批判の嵐に晒され、それから1年余り後の94年7月、感受性の人一倍強く当時仕事に行き詰っていたケビンは自ら命を絶った。その辺りの事実と心理的描写も十分に描かれている。

「THE RWANDA CRISIS:HISTORY OF A GENOCIDE」
著者:GERARD PRUNIER / 1994

 

東西冷戦終結後の1990年代、アフリカ各地で紛争が起きた、ソマリアからアンゴラ、そしてスーダン内戦を追いかけてきたワタシにとってルワンダ内戦/虐殺とコンゴ難民危機/戦争の取材とその体験はジャーナリストとしての仕事の一つの核を成すものと言っていい。

2010年には当時の取材体験を記した「アフリカン・ブラッド・レアメタル」という本も書いた)当時事件の背景、本質について十分に把握していなかった自分にとってプルニエ氏が書かれたこの本は不可欠の一冊であり、広範な知識と深い分析、それでいて分かりやすい文章は本当に参考になった。

現在アフリカの奇跡といわれ経済成長を遂げるルワンダ、そして今なお、資源争奪から人権侵害といった多くの問題を抱えるコンゴの一端を知るには、絶対に欠かせない一冊だ。

 

「LEARNING FROM SOMALIA」
著者:Walter S Clarke, Jeffrey Herbst / 1997

 

アフリカの紛争現場、戦場を中心に取材を続けてきたボクにとっての関心は〝平和(構築)〟という概念、想像よりも、「何故」、「誰が」、「どのように戦っているのか」というリアル/現実だった。その現実を知って初めて平和も語られるのではというのが基本的考え方だった。そうしたアフリカ紛争の現実を軽視してきたのが、日本のいわゆる平和(学)だ。はたしてどれだけの学徒諸子が戦いの主役である〝ゲリラGuerrilla〟〝ミリシアMilitia〟という存在、言葉について知り、学んできただろうか・・・・

本書は、1992年~93年にかけてアメリカのソマリア介入の〝成功〟と〝失敗〟の事実からから学ばなければならない教訓について書かれている。こうしたことをきちんと総括できるのが、アメリカの凄いところだ。私見では、ポスト冷戦後に噴出したアフリカ紛争、とくにソマリアで起きた〝事件〟はその後のあらゆる紛争とその対応の「原点」だと確信している。現在のすべての国際問題、人道問題の原型がそこに現出している。

2016年現在、ソマリアにはイスラム過激武装勢力のアルシャバブがテロ攻撃を繰り返し、それに対してシャバブの壊滅、ソマリア国家再生を目指してアフリカ連合軍AMISOM(22000人)が首都モガディシュを中心に展開しているが、こうした存在もまた、結局20数年前の国連とアメリカを中心とした戦いと国際社会の挫折にたどり着く。

本書で注目すべきはポスト冷戦直後に起きたソマリア紛争への国際社会の介入(アメリカ軍的呼称は〝希望回復作戦〟国連的には〝UNITAF(統合機動部隊)〟)について、サブタイトルにもあるように初めて〝ARMED HUMANITARIAN INTERVENTION(軍事的人道介入、時に武装した人道介入ともいう)〟という言葉と概念を導入したことだ。

ボクはこの言葉を目にしたときちょっとした衝撃さえ受けた。これはユニークかつ真相を射た視点である。簡単に言うとこうだ、もしある地域、国で相当数の人間が戦争、紛争で死傷、飢餓などの被害を受けている時、いったい何処の、誰が、どうやって、被害者たちを救う=介入(INTERVENTION)するのかという方法的問題提起だ。これは世界が〝一つの社会〟であり続ける限り、今なお有効な問題提起だ。この深刻かつ困難な問題に対して今なお国際社会は効果的手立て、方法を明示できていない。「9.11」以降は、テロによる攻撃、被害がさらに問題を複雑化し問題の解決を難しくしている。

〝ARMED HUMANITARIAN INTERVENTION〟、文字通り、〝人道のために軍事的に介入、武力を持って介入する〟ということだ。ときに〝武装した人道主義〟ともいう、これは単なる言葉上の〝平和〟、〝戦争絶対反対〟という、言葉の遊びを超えたリアルだ。

今、日本では一部〝平和構築〟〝Post-Conflict(戦後復興)開発協力〟が流行りだが、こうしたリアルな問題提起に対する深い、洞察と議論がなされていない。なぜなら、現実を知らな過ぎるからだ。ここは単なる個人的小さな〝書評〟の場なのでこれ以上書けないが、最後に一点だけ、それは、紛争、テロを解決するには、その根源にある〝貧困〟を失くすことだという。確かにそうかもしれない、しかし一方で、では目の前の戦い、犠牲者たちの命をどうする(救う)のかについて考えることも、遠い貧困撲滅と同等に緊急の課題だ。

 

「African Guerrillas」
著者: CHRISTOPHER CALAPHAM/ 1998

 

本書はまさに、ではいったい「誰が」「何故」アフリカで戦っているのかということについて、その歴史的背景、社会的背景、組織、戦い、思想、主義等々について広汎かつコンパクトに書かれた本だ。序文に書かれているが本書では、冷戦時代の直接植民地支配者打倒を目指すアフリカの植民地解放闘争(アンゴラ、モザンビーク)や、アルジェリアなど北アフリカの戦いはいくつかの理由で言及されてない。

いずれ、アフリカ紛争を理解するうえでのいくつかのKeywordの用語解説をまとめたいと思っているが、本書との関連でアフリカ紛争と平和を理解するうえで欠かせない基本中の基本である3つのKeywordについて簡単に触れておきたい。最近はここにテロリストという言葉が加わるが・・・。

 

  • ゲリラ(guerrilla)/起源は古く過去のヨーロッパの戦争にまでさかのぼる、政治的、経済的目標を掲げ、政府、地域支配者打倒を目指す反政府武装グループ、一般的に正規軍と比べ、小規模で武器、装備も劣っている。
  • ミリシア(militia)/政府軍の下にある予備、準軍隊組織で、民兵、パラ・ミリタリーとも呼ばれる。当然政府軍の組織の一部で、一般的には反政府組織であるゲリラと敵対する。政府は反政府武装ゲリラと戦わせるために、ミリシアを組織、戦場に送る、これもヨーロッパ、アメリカ独立戦争と歴史は古い。スーダン内戦時(1983~2005)の北の政府系アラブ・ミリシア対南の反政府ゲリラ(スーダン人民解放軍SPLA)との戦いは有名、最近はどちらも武装勢力一般という視点でゲリラ、ミリシアの厳密な区別なく使用している場合も多い。
  • インサージェント(insurgent)/一般的に支配体制に対する反乱、暴動主体をいう。それがゲリラによるものか、政府内部の反乱分子によるものか等々あるが、力による反政府、反対運動、最近は一部テロリストに対してもこう呼ぶメディアは多い。